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映画「Michael」について(ネタバレなし)

2026年6月15日(月)

仕事が休みだったため、映画『Michael』を観に映画館へ足を運んだ。


もともと音楽をテーマにした伝記映画は好きで、この作品も公開前からとても楽しみにしていた。

平日にもかかわらず、館内は7割ほど席が埋まっていた。

観客層は自分より少し上の世代が多く、マイケル・ジャクソンをリアルタイムで見てきた人たちなのだろうという印象を受けた。


映画を観ながら涙が止まらなかった

上映中、自分でも驚くほど涙が止まらなかった。

実を言うと、自分はマイケル・ジャクソンの音楽を熱心に聴いてきたわけではない。

テレビなどで耳にする程度で、自ら進んで聴くことはほとんどなかった。


また、世間で語られるイメージによる偏見も少なからず持っていたと思う。

しかし、映画の中で描かれていた彼は、そのどれとも違っていた。

まず圧倒されたのは、その歌声だった。


もちろん実際に歌っているのは、甥である Jaafar Jackson なのだが、「上手い」という言葉では到底表現できない。

そこにはマイケル・ジャクソン本人が存在しているように感じられた。

歌声そのものに、人の心を一瞬で掴み、支配してしまうような力があった。

当時の人々が彼に熱狂し、まるで神のような存在として見ていた理由を初めて理解できた気がした。

圧倒的な才能の前では、人は理屈ではなく感情で動かされる。

そんな感覚を味わった。


マイケルという人間

主演がジャファー・ジャクソンだったと知ったのは映画を観終わった後だった。

しかし、単に容姿や声が似ているだけではない。

マイケルの魂や空気感までも受け継いでいるように感じた。

その姿を見ているうちに、自分はひとりのアーティストとしてのマイケルに強く惹かれていった。

映画を観ながら感じたのは、マイケルが「スターらしくない」ということだった。


一般的にスターという存在には、

  • 強さ

  • 自信

  • 野心

  • 支配力

といったイメージがある。

しかし、映画の中のマイケルから感じたのは、それとはまったく別のものだった。


そこにあったのは、

  • 無防備さ

  • 純粋さ

  • 子どものような感受性

  • 人を信じる心

だった。


世界最大級のスターでありながら、どこか普通の人間のまま。

いや、普通以上に純粋なまま大人になってしまった人のように見えた。

その姿を見ているうちに、自分はふと、

「もしかするとサヴァンのような特性があったのではないか」

と考えた。

もちろん実際にそうだったという証拠はない。

ただ、常人離れした才能と、世間に対するどこか無防備な人柄との間に、大きなギャップを感じたのだ。

しかし今振り返ると、そのギャップこそが彼の本質だったのかもしれない。


普通すぎたからこそ特別だった

才能だけなら、世の中には他にも優れた人がいる。

けれど、あれほど純粋な心を持ったまま世界中の人々の前に立ち続けた人は少ない。

そして映画を観終えたとき、自分の中にひとつの考えが残った。

それは、

「彼はスターだから特別だったのではない」

ということだ。


むしろ、

「普通すぎたからこそ特別だった」

のかもしれない。


大人になっても失わなかった子どものような感受性。

傷つきやすさ。

人を信じる心。

それらがそのまま音楽となり、歌となり、パフォーマンスとなって世界中の人々へ届いた。

だから人々は彼に憧れるだけではなく、共感し、ときには守りたいとさえ思ったのだろう。

映画を観終わった今、自分の中に残っているのは、

「すごいアーティストだった」

という感想ではない。

それ以上に、

「こんなにも純粋な人間が、こんなにも大きな才能を背負って生きていたのか」

という驚きと敬意である。

そして、その事実に心が震えた。

この数年間で観たどの映画よりも深く、自分の心に残る作品だった。


 
 
 

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